Special 03数字とキーワード

野口工務店を紐解く
数字とキーワード

野口工務店を知るために欠かすことのできない、いくつものキーワード。アウトライン
からは見えない様々な切り口から、当社に根ざす「野口らしさ」を紐解きます。

Keyword_01

2024年で創業から100年2024年で創業から100年

当社の前身「野口組」は、1924年(大正13年)、野口鉄次によって東京で創業。大阪で仕事を請けてきた大林組が、関東大震災後、本格的に東京進出するのに合わせて本拠地を移したのが始まりです。
1953年(昭和28年)、野口雷象を社長として「株式会社野口工務店」を設立。大林組とともに、北海道糠平ダム・山形八久和ダムなどの電源開発工事や地下鉄丸ノ内線の東京駅工区、東海道新幹線東京駅高架橋架設などに関わり、現在に続くインフラの土台を造ってきました。また、御用邸や昭和天皇陵の造営など歴史に残る事業にも多く携わっています。
今後、今以上に安全で品質の高いものづくり企業、社員の幸せな生活を実現する企業となるべく進化を続けていきます。

Keyword_02

現場社員は全員施工管理現場社員は全員施工管理

野口工務店は、お客様の要請に応えるように業務の領域を拡げ、組織体制を整備してきました。古い時代には作業員達が家族のようにともに暮らし、日雇い・月契約でまかなっていた労働力を、いまでは技術と資格をもった協力会社に委託するようになりました。

一方で当社には、チームをまとめ、工程や品質・原価を管理する役割を求められるようになっています。元請けとして公共事業などを請けることが増えたいま、当社で工事に携わる社員の全員が「施工管理者」です。文系や専門外からの入社も増え、入社してから資格を取る社員も少なくありません。

撮影協力:JR東日本

Keyword_03

人目に触れることがなくとも美しい人目に触れることがなくとも美しい 土木のコンクリート

外側を装飾する建築と違い、土木構造物のコンクリートは打ち放しの状態で仕上げるのが一般的です。屋外の過酷な環境下で、内部への浸水や酸化による劣化を防ぎ、何十年にもわたり機能と安全を保つには、極めて緻密な躯体と滑らかな表面の実現が不可欠です。型枠を外して理想的な躯体を出現させるその瞬間を目指して、現場にいる全員が力を集め、さまざまな工程を進めています。コンクリートはいわば、土木建設の魂。たとえ人の目に触れる機会がなくとも、その外観は機能美にあふれ白い輝きを放っています。

土木のコンクリート

Keyword_04

野口雷象もはや伝説的?野口雷象

もはや伝説的?

野口雷象は、当社が野口工務店として株式会社化した時の初代社長であり、建設業での社会貢献度の高さが認められて国から叙勲を受けた人物です。明治42年に福岡県に生まれ、創業家の養子となって会社を率いてきました。
北海道糠平ダムの工事では、過酷な環境の中で400名の作業員を指揮監督し、寒冷地における高堰堤短期施工の新記録を樹立。いくつもの全国建設業団体で要職に就き、工事業者の地位の向上や雇用改善、災害防止、技術開発などに努めました。
人物としては懐が深く、信心深く、人を差別することがなかったとか。社員から「オヤジ」と親しまれ、カリスマ的な存在感を放っていたといいます。

Keyword_05

時を超え、同じ現場で見つけた数十年前のヘルメット時を超え、同じ現場で見つけた数十年前のヘルメット

大手町で地下通路をつくる工事中、現場で野口工務店の古いヘルメットが掘り出されました。見つけたのは入社15年目の現場代理人 高橋。地下2mほどを掘削している時、土に埋もれた黄色い丸いものが見えたのだと言います。野口の社名と大林組のマークを並べたそのデザインは、昭和の時代に使われていた、会社同士の絆を思わせるもの。一般的にはありえない場所で出会ったヘルメットは、数十年の時を超えて同じ現場を担当した後輩に、野口工務店の歴史と誇りを語りかけているようです。