Special 02入社からを振り返る
入社からこれまでを、
この機会に振り返って。
「とりあえず1年やろう」と入社した新入社員 田畑が、
ものづくりの面白さに気づき、施工管理者になっていく過程を
上司として2年半現場を共にした山﨑とのクロストークで振り返ります。
Speaker’s Profile
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工事部 次長
山﨑 大悟Daigo YAMAZAKI
1997年入社
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工事部
田畑 寿馬Kazuma TABATA
2016年入社
入社して知った
「土木の仕事」
- 山﨑
- 入社は何年だっけ。
- 田畑
- 2016年4月入社です。私立の総合学科だったんですけど学校に求人票が来てまして、東京で建設業をやる友達が「野口工務店いいんじゃない?お前もこっち来いよ」って。見たら給料もいいし、ボーナスもあるし、休みもちゃんとしてるし、いいんじゃないかと思って。まさかすんなり入れると思ってなかったので、良かったです。
- 山﨑
- (笑)東京はすぐ慣れた?
- 田畑
- はい、慣れました。研修が終わってすぐ現場が決まったので、会社が借りてくれた近くの家に先輩と一緒に引っ越して、ご飯をたまに作ってもらったりしていました。
- 山﨑
- あれ、ルームシェアだったんだ!今はほとんど1人1部屋だけどね。でも、4年間は家賃と水道光熱費も会社持ちだったでしょう?最初の現場はどこ?
- 田畑
- 横浜環状北線ですね。横羽線の生麦から第三京浜の港北インターまでつなぐトンネルの床版をつくる工事を、3カ月くらいやりました。
- 山﨑
- どうだった?
- 田畑
- 全然抵抗はなかったですけど、イメージとは違ってました。土木って穴掘りする仕事だと思ってたんですよ。でも、そこは全く土工仕事がなくて、コンクリート構築がメインだったので、「あ、こういうのもやるんだなぁ」と思いました。
- 山﨑
- で、次の現場が新宿駅の鉄道工事か。また全然違う現場だね。
- 田畑
- 自分が行った時は、ホームの架け替えの仕上げ段階でした。電車が止まってからの夜間工事だったので生活リズムは変わりましたけどね。そこも3ヶ月でした。短いです。
- 山﨑
- うちの会社は、最初は、職人さんと一緒になって作業をしてもらうんだよね。実際にやってみなければ実務が分からないし、現場がわからなかったら適切な指示もできないから。それがうちの強みでもあるんだけど、めげちゃう人も多いんだよね。田畑君はめげなかったね。
- 田畑
- いや、意外にちょっと面白いなって。土工仕事以外にもいろいろやれるのが面白いなと思ってたんですよね。疲れるんですけど、元々体を動かすのが嫌いではないので。
ただ正直、その頃は言われたことをやってるだけでしたね。すぐ地元に帰ったら恥ずかしいから、とりあえず1年頑張ろうってくらいで。今考えるとちゃんとやっておけばよかったって思います(苦笑)。
施工管理の入り口
- 山﨑
- で、その後が虎ノ門の地下通路か。
- 田畑
- そうです。山﨑さんが現場代理人の現場です。
- 山﨑
- 2017年1月だね。東京オリンピック前で、地下鉄日比谷線の新駅(虎ノ門ヒルズ駅)と虎ノ門ヒルズ、銀座線虎ノ門駅を地下通路でつなぐ工事。昼夜間の工事で、道路の舗装を剥いで覆工板を敷いて車を通しながら、覆工板の下で工事をしていました。
- 田畑
- いや、懐かしいですね。地下空間を造っていく工事ですね。
- 山﨑
- 虎ノ門は都心部なので、ガス・上下水道・電気、通信のラインとかいろんな埋設物があって、なかなか図面通りにはいかない。最初にそういうものを防護する作業から、田畑君に入ってもらったのかな。比較的いい時期に配属されたんじゃないかと思います。
全体としては、所定の深さまで掘って整えて、今度は逆に下から上に地下通路を築造していって、完成した周りを埋め戻して、道路をきれいに戻して工事完了という工程。これをやっておけば、どの現場でもひと通りできるっていう工事内容だった。
- 田畑
- 2年半やりましたね。本当にひと通りやりました。
- 山﨑
- 最初は職人さんと一緒にスコップを持ってもらったよね。しかも、スコップを持たせてみたら巧かった。「スコップって簡単なようで実は難しいんだよ」って言いたかったのに(笑)
- 田畑
- 地元で雪かきをしてたので慣れてました(笑)。虎ノ門の現場は、自分が思っていた仕事がきたなっていう感じでしたね。手を使う仕事、これが土木だなと思った。
- 山﨑
- イメージにハマったんだ。田畑君は力持ちで職人さんによく呼ばれたりしてたから、すごく安心というか、合ってるんだろうなと思った。職人さんに可愛がられるって大事な要素だと思うから。明るいし、笑顔がいい。
3カ月経ったぐらいの時かな、鋼板を敷く作業の時に、「つながった」って言ってたね。
- 田畑
- そうそう、そうです。最初は意味もわからず掘ったり埋めたりしてましたけど、やってるうちに、だんだん今何をしてるのかが分かってきたんですよね。
- 山﨑
- 目的とか完成形が見えてくると工事も面白くなると思うんだけど、それがすごく早かったので、飲み込みが早い子だなと思った。で、私がいない間に、田畑君にはちょっとずつ現場を見てもらうようにしていったんです。
- 田畑
- ちょっとずつですね。最初は山﨑さんから「今日はこういう仕事をする」と聞いても、全然イメージが湧かなかったです。ベテランの職人さんに教えてもらったり、山﨑さんのやり方とすり合わせるのに結構密に話させてもらってました。
- 山﨑
- ひとつのプロジェクトでも現場が広いので、並行して何カ所も工事を進めてた。工事って5人、10人の少人数から始まるんだけど、繁忙期を迎える時には、昼夜合計で50人くらいはいたね。徐々に2カ所、3カ所と統括して見てもらうようにして、夜の現場にもシフトしてもらった。
- 田畑
- 管理職って感じでもなかったですけどね。作業もしつつ、徐々に施工管理もしつつ。
- 山﨑
- 夜には夜の責任者が別にいて、昼・夜で工程をつないでいくので、それぞれが時間内に作業を完結させなきゃいけないという使命感もあり、社員間の連携も必要。時にはどうしても強引に完結させなければいけない時もありました。
- 田畑
- 床付けは印象に残ってますね。(※床付け:掘削の最終形。計画の深さまで掘り下げ、平滑に整地すること。コンクリート築造前のターニングポイントとなる)
日が決まっているので、今日の時間内にはここまでは終わらせなきゃいけないってのがあって。作業員さんにもそれを言うんですけど、1、2年生だと言うことを聞いてもらえないんですよね。責任者が言ってくれればみんなやるんですけど。
- 山﨑
- 職人さんも疲れが溜まってきたりするとね…。
- 田畑
- いやぁ、今なら分かりますけど、段取りも交渉も、まずは仕事を知らないとできないです。付け焼き刃じゃなく、計画の段階から頭の中で思い描いているイメージがないと、説得力がないです。
- 山﨑
- 私も当時、「今日は絶対ここまでやれよ」って厳し目に話をしたよね。でも、田畑君がある時職人さんを帰しちゃって、「できてないじゃないか」って言った後、何時になっても戻ってこなかった。どうしたかなと思って現場に行ったら、責任を感じて一人で仕事してたんだよ。そういう姿を見て感じるところがあったのか、職人さんの方から「今日はこれでいいのか?」って確認するようになってた。心打たれたんでしょうね。
- 田畑
- いい話、ありがとうございますっ!
今でも怒られたことは忘れないですもんね。そうやって先輩に教えられたことっていうのは、今、施工管理をしてる時に活かせてると思います。
山﨑さんは、経験豊富で最後までの道筋が分かってるし、いろんな事を知ってて職人さんに事細かく指示されていたし、真似したいなと思ってましたけど、1年やそこらではなかなかなれないので…。盗める技は盗んでおこうと思ってました。
- 山﨑
- 土木は建築とは似て非なるもので、「経験工学」って言われてるんだよね。
- 田畑
- さっき職人さんが言うことを聞いてくれないって言いましたけど、自分は以前職人さんにタメ口でしゃべってたんですよ。舐められないようにしなきゃってイキがってたので。…でも、そこは変えました。年配の人もいらっしゃいますし、これじゃ駄目なんだなって途中で考え直しました。
- 山﨑
- 一番難しいのって、自分が理解できたとしても、それを一人ひとりの職人さんに行動としてやってもらうことだよね。伝えれば終わりじゃない。人に合わせて伝え方を変えたり、ある程度任せればうまく進めてくれる人もいるしね。でも今は、田畑君もそういうところを踏まえてマネジメントしてくれてるんでしょ。他の所長から良い評価を聞くよ。
- 田畑
- 恥ずかしいっすね(笑)その通りです。
- 山﨑
- 今の現場は?
- 田畑
- 京王線の架替えで、1キロちょっとあります。もう2年半になるけど、仮設線路が出来るまであと2年、本設が終わるのは12、13年後です。スケールがでかいです。
先輩の道、これからの道
- 田畑
- 山﨑さんは入社はいつなんですか?
- 山﨑
- 私はですね。平成9年。
- 田畑
- 平成9年なんですか?自分が生まれた年です。
- 山﨑
- (笑)転職で、22歳ぐらいだったんだけど、それまではちょっと別の仕事をしてプラプラしてたんです。自分が何をやっていこうかを悩んでいた時期で…
- 田畑
- へぇ、そうなんですか。
- 山﨑
- 当時、土木の求人雑誌で野口工務店を見たんです。当時は「作業員」も募集してて、1日1万2500円という日給だった。どうせなら大きな仕事がしたいと思って入って、5〜6年は作業員として働いていたんです。
そのうち上司に声を掛けてもらって、施工管理の資格を取った。自分も工事が面白くなってたし、ゼネコンの職員さんがやってた施工管理の仕事を、今後は野口工務店がやることになるだろうなというのも感じ取れたから。ターニングポイントを間違ってたら、今ここにいないんじゃないかと感じる時はあります。
- 田畑
- 独学で一級をとったんですか?
- 山﨑
- その頃は、今みたいに資格を持って勉強を教えてくれる先輩自体が少なかったからね。一級の時はかなり勉強した記憶があるね。講習費用に関しては会社が快く後押しをしてくれたけど、どちらかというとゼネコンの職員さんに勉強の仕方を教わったりしてたかな。
その先生になってくれた方々も、若い頃はちゃんとスコップを持ってたっていうんだよね。現場を知ってるからこそ、物事の重要な部分を分かりやすく教えてくれたし、背中で示してくれるところもあったんですよ。だから私も同じ役割として、会社の若い世代にに繋いでいかなきゃいけないなと思ってます。今は多分、田畑君はそう思ってくれているんだろうと思うけど。
- 田畑
- 思ってます!間違いないです!大丈夫です、大丈夫です。
- 山﨑
- つらいこともあったと思うけど、田畑君は、これからの社員が目指すべき標(しるべ)をつくってきたと思うんですよね。これから一緒に話をしながら、次の世代にどう教えていくかを考えていきたいですね。
ちなみに、なんだと思う?野口工務店の良いところ。
- 田畑
- いっぱいありますよ。頑張った分だけお金にもなるし、知識も増えて、自分なりに現場を回せるようになると仕事も面白くなってくる、やりがいのある仕事ですね。今やってる現場は鉄道の高架工事で、つくった構造物がオモテに残るので、そういう部分でも違ったやりがいがあるんじゃないかと思ってます。
- 山﨑
- これだけ沢山の人と一緒に、これだけ大きなスケールのものを造るっていうのは、他の業界になかなかないんじゃないかと思うんだよね。それが残るものであれば、なお面白いでしょうね。そういうところを、若い子たちにわかってもらえるといいなぁ。
それに、建築業界を取り巻く世の中の動きは時代で変わるじゃない。最近は自然災害も非常に多いので、そういう部分へのサポートが会社に求められることも増えています。人の役に立てるっていうのは、これからもこれは無くしちゃいけない部分ですし、弱くなってもいけない部分ですよね。