Episode 03百年先の未来に
続く道へ。
車の流れを止めない
首都高リニューアル。
Prologue
東京2020オリンピック・パラリンピックを
新しい道路で迎えるための短工期。
「高速1号羽田線(東品川桟橋・鮫洲埋立部)更新工事」
高速1号羽田線が整備されたのは昭和の東京五輪前年。京浜運河上に建設された1.9kmの区間は、海水などの影響が深刻な状況に耐えながら、半世紀もの間交通を支えてきた道路である。これを長期耐久性を有する道路に造り替え、東京2020オリンピック・パラリンピック(当初予定は2020年夏)には既設道路から切り替えることがプロジェクト全体の使命。わずか4年で迂回路と更新上り線を新設し、車の流れを止めることなく切り替えが行われた。
プロジェクトチーム
新しい時代の高速道路のために
運河の中に、未来につなぐ基礎を
造る。
高速1号羽田線は、日々7万台が利用する重交通路線だ。京浜運河の海面に近く劣化の激しい東品川桟橋・鮫洲埋立部区間1.9kmを、桁下クリアランス3~17mの高架道路に替え、長期耐久性・維持管理性に優れた構造にすることが更新工事の目的である。野口工務店に託されたミッションのひとつは、この新しい首都高を百年先の未来につなぐ、52基の基礎を建造することだった。
現場を指揮するのは、ベテラン施工管理人・酒井 正巳。東品川桟橋区域では、近接するモノレールに影響を及ぼさないコンパクトな寸法と短工期を両立させる「鋼管矢板基礎」が採用されていた。
コンパクトとはいえ、高速道路を載せる基礎である。1辺約12m×深さ8m、運河の中に建立される巨大なコンクリート構造物だ。連結させた鋼管で止水と型枠を兼ね、その中に200〜300m3のコンクリートを流し込んで一体化させていく。2020年までのⅠ期工事では、更新線の片側26基を9カ月で造り上げるスピードも求められた。野口工務店が手配した作業員は60〜70名。1基=1現場と言っても過言ではない規模の工事を、酒井は計画通りの完成に導き、橋脚を建てる次の工程へと無事に引き継いだ。
名前のつかない無数の工事を
一手に引き受け、
全体最適化をサポートする。
この更新工事は、生きた高速道路を架け替えるという先進的なプロジェクトでもある。まず、迂回用の仮道路を用意して上りルートを切り替え、既設道路の上に新しい高架道路(更新線)を完成させながら、順次ルートを切り替えていく方法が採られた。東京2020オリンピック・パラリンピックを新しい道路で迎えることはプロジェクトチームの命題でもあった。迂回路完成までの工期は1年8カ月。2016年2月に工事をスタートし、4年で上下線を新設構造に切り替える短工期だ。
現場は、ビルやマンションに近接し東京モノレールが並走する狭く長いエリアで、工事用動線の確保も厳しい。異業種の9社から成る大林JV(共同企業体)を中心とするチーム全体が密な協力体制を作らなければ実現は叶わない。
野口工務店は、現場を統括する大林JVとともに着工前から現場に入り、工事の準備段階から作業をスタートさせた。仮囲いや護岸を越える仮設スロープの設置、工事用動線の確保など、最大数百人規模になる施工業者を迎え入れる準備は、現場を知らずにできるものではない。工事が始まると、工事動線の業者間調整、新コンクリート材料の試験施工、床版に生じる隙間の型枠施工、専門業者間の現場引き継ぎの前さばき、各種の養生、時には降雪の処理まで、ニッチな小工事が無数に発生する。共同施工の大規模な現場には、工事全体を円滑にすすめるための細かなサポートが不可欠なのだ。この役割を一手に引き受けることが、酒井率いる野口工務店のもうひとつのミッション。常に全体最適化に力を注ぎ、工事の進行を支え続けた。
2020年5月時点
2020年5月時点
車の流れを、
新ルートに
切り替える。
切り替えの数ヶ月前
2016年、仮設の迂回路完成を目前にして、大林JVと舗装会社、野口工務店など関係各社によって綿密なタイムスケジュールが練り込まれた。
新旧のルートは、大型ブロックと白線の移動によって切り替えられ、パトカーの先導によって車の流れを変えることになる。発注者や警察が一体となって行われる一大イベントであり、停滞や事故は許されない。
規制区間に置かれる大型ブロックは百数十個にのぼり、1個1個が100kg以上の重さだ。これに玉掛けをしてクレーンで積み下ろしする時間、必要な人員と車両の数、白線を書き換える段取りや時間……さまざまなシミュレーションを繰り返し、確実な行動計画へと落とし込んでいく。
当日は、10トントラック15台とクレーンなどを
いくつもの専門班に分けて作業が進められた。
まずは、大型ブロックによって、既設上り線を1車線に規制。
その後、迂回路入り口の閉鎖ブロックを撤去して、
迂回路への入り口を用意する。
既設道路の白線を消して新ルートに書き換え、
迂回路に向かう車線を完成させる。
午前1時、
車列の先頭をパトカーが走り、交通の流れを迂回路へと誘導する。
同時に、既設道路に向かうルートをブロックによって閉鎖。
路面の白線を書き換え、規制ブロックを撤去して、
迂回路の2車線を開放し、切り替えが完了した。
何事もなかったかのように、迂回路上を車の列が流れていく。
その後2年半をかけて、海面に近い旧上り線が撤去され、
本線となる新たな高架道路が完成した。
2020年6月16日午前1時には、
その時と同じように下り線が更新線へと切り替えられた。
高速1号羽田線が
一瞬たりとも流れを止めることなく、
新しい時代へとルートを変えた瞬間だった。
「切り替えた後、実際に自分でその道を走った時に、やっぱり一番感動した」
と、酒井は言う。
どんなに巨大な基礎も、完成すればほとんどが水中に沈んで見えなくなる。
しかし、百年以上先にもそこに残り、静かに社会の営みを支え続けている。
この大きなプロジェクトはニュースに取り上げられ、
その施工技術を含めて世界中からの注目を集めた。
さらにこの更新工事は、日本建設業連合会の土木賞を受賞。
華々しい世紀の事業にチームの主力メンバーとして携わった喜びと誇りが、
一人ひとりの胸を満たした。
完成に向けて、工事は続く─。
プロジェクトは、現在もなお続いている。
既設下り線の撤去工事を終えて、新しい高架道路を造る工事が進められているところだ。野口工務店は52基すべての基礎を完成させ、一方で現場全体のサポートを続けていた。
完成までの道のりは長い。
酒井は「ここからもまだ大変です」と苦笑いする。
野口工務店にとって、新設道路の完成が終わりではない。
「上下線の切り替えが終わったあとも、仮設の迂回路や、工事動線として残してある既設道路、工事動線など全部を撤去しなくちゃいけない。最後は護岸を復旧させて、全部片付くまでにはしばらくかかります。でも…」。
彼はゆっくり言葉をつなぐ。
「最初から最後までやれるのがうちの強みだと思ってるんです。メインの大きな施工をやるんだけれども、細かいところも気を配る。最初に現場に入って、工事が終わって、最後の片付けまで終えて、最後に現場を出る。本当の完成形までものづくりできるのが野口工務店だと思います」
Profile
施工管理|工事部長
酒井 正巳Masami SAKAI
工学院大学専門学校卒業。大手ゼネコンの大きな仕事を請け、頑張り次第で学歴に関係なく目指せる会社だと薦められ、1991年に入社。30年以上働いて実感する会社の良さは、現場のチームワークだと断言する。「良い時も大変な時も、みんなで共感できるから頑張れる」。「土木は、建築と違って掘削してみないとわかりません。“どう施工するか”を元請けと一緒になって考えられるのもやりがい。自分が携わった道路や高速のPA、駅などを実際に利用する時の感慨はひとしおです」と頬を緩める。